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まわるまわる

社会というものはとても面白い。

 

自分がどれだけ楽しかろうが悲しかろうが、外の世界には必ず、通常通りの社会がある。

当たり前なのだが。

 

例えば、辛いことがあって家に引きこもっていた。だけどふと外に出てみると、周りは自分が引きこもっていたことなんて知らない。

いつも通り電車は動いているし、車も走ってる。

 

人がたくさんいるところでは、いつも通りたくさんの人が行き交っている。

 

休みの学生は楽しそうに友達と買い物をして、おばさま方同士も楽しそうに買い物やおしゃべりをしている。

 

 

ああ、自分以外は普通の暮らしをしているんだなと、羨ましくなる。

 

 

現実を目の当たりにする。

自分はちっぽけなんだと。

別に自分がいなくたって社会は回り続けるんだと。

悲嘆的な意味ではなく。

 

不安にもなるけど、ホッとする気もする。

その現実に自分も混ざっていたかったという気持ちもある。

 

混ざって、友達と楽しくおしゃべりをしていたかった。

楽しく買い物をしたかった。

 

しかしそれは叶わない。

しかしだけど、もしまだこの気持ちになっていなかったとしたら、この現実に混ざるのにもっと時間がかかったかもしれない。

それもそれで苦しかっただろう。

 

結局のところ、どう進んでも苦しみは避けられなかったのだろう。

 

だけど、一向に構わない。

 

苦しみは自分を成長させてくれた。

これからもきっとそうだ。

 

「苦労なんてしたことない」なんてこと、胸を張っていう大人になりたくない。

「自分は人の苦労がわからないバカです」と言っているようなものだから。

 

自分が体験しなければ、絶対にその苦労はわからない。

 

今まで大きな苦労をしてきたからこそ、若いうちにそのことが理解できた。

これを理解できただけでも、今までの人生間違ってはなかったのかなと思う。

 

少し哲学的になるけど、「苦労が自分を成長させる」ことが若いうちに理解できない「苦労」というものは自分にはわからない。

だから、同年代で苦労も知らずに遊んでばっかりの人生を過ごしている人の「苦労」は自分にはわかりません。

 

わかりたくもない。

そんなくだらない「苦労」なんてわかったところでなんの役にも立ちませんから。

 

 

苦労もいいけど、もちろん休むときにはちゃんと休まないとね。

 

自分は今少し休んでいるところ。

休憩が終わったら、また再出発だ。